徒然読書日記202505
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2025/5/23
「酒を主食とする人々」―エチオピアの科学的秘境を旅する― 高野秀行 本の雑誌社
アフリカのエチオピア南部に酒を主食とする民族がいる。朝から晩まで酒を飲み、栄養の大部分をそこから得ている。健康な成人だけ でなく、子供や病人、妊婦の人たちも飲んでいる。
<こんな不思議な民族が実在するのだろうか?>
「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も知らないものを探す。それをおもしろおかしく書く」をモットーに、世界各地を 渡り歩き、
『謎の独立国家ソマリランド』
や、
『辺境の旅はゾウにかぎる』
などの 渾身のルポで、私達読者を瞠目させてきた当代随一の「辺境作家」が、今回、こんな「クレイジージャーニー」を敢行することになったのは、 書店でたまたま『酒を食べる』(砂野唯:昭和堂)という奇書に出会ってしまったからだった。
エチオピア南部の「デラシャ」という民族は、栄養の大部分を高黍(たかきび)などの穀物から作る濁り酒{パルショータ」から得ていると いうのである。アルコール度数3〜4%のその酒を、1日になんと5リットル。子供も2歳くらいから少しずつ慣らして、10代半ばで大人と 同じように酒が主食になるという。
<一日中、酒を飲み続ける生活とはいったいどんな感じなのだろうか?>
それを知るには実際に行ってみるしかないと、TBSの番組制作クルーを引き連れて、全行程2週間の現地取材に及んだ、これはトラブル続出の 旅の記録なのである。
顔を近づけたら酒くさい。私自身酒を飲んでいるのに、それでも匂うとは、この子は飲みすぎじゃないのか。だいたい、足元がおぼつかない。 「おっとっと」という感じで私の腕につかまる、でも目は笑っていて嬉しそう。
<すごい。5歳児なのに「へべれけのおっさん」になっている。>
毎日朝から晩まで自前の酒を飲み以外には、わずかな固形物しか口にしないという「酒が主食」の生活の、驚くべき実態はぜひご自分でお確かめ いただきたいが、ビザ不要という現地コーディネーターの言葉を信じて、成田空港で想定外の足止めを食らってしまうという「事件」を皮切りに、 最初に連れて行かれた村が、擬似家族によるヤラセであることが判明して、番組収録途中で急遽別の村に移る羽目になったり、ステイ先で あてがわれた作業小屋のトコジラミを追い出そうと火を焚いたら、潜んでいた無数のゴキブリがいぶし出されて、往生してしまったなどなど。
様々な困難に見舞われながらも、それを軽々と凌駕して、「こんなに体調がいいのは何年ぶりだろう」と、楽しげに現地の生活に溶け込んでいく 姿が、神々しい。固形物の摂取量が少ないデラシャの人たちの生活を見ていると、「アルコールは有害」という昨今の飲酒に対するネガティブな 態度は、おかしいのではないかという。飲酒している人の、つまみなど食生活全体を見る視点が、現代科学では決定的に欠けているように思う というのが、この旅行記の「意外にまじめな」結論なのだった。
<彼らは決して「遅れている」わけではない。>
酒を主食とする食生活もやむをえずそうなってしまったのではなく、意識的につかみ取ったものだろう。その意味では現代の日本人や西洋人 と同じだ。ただし、「進んだ方向性がちがう」のである。
2025/5/19
「謎ときエドガー・アラン・ポー」―知られざる未解決殺人事件― 竹内康浩 新潮選書
一人の男が殺されているというのに、現場にいる登場人物たちは誰もそれに気づかない。殺害場面を読んでいるはずの読者も、その 犯行を見過ごしてしまう。そんな巧妙な完全犯罪が、もう二世紀近くもの間、ポーの作品の中に隠されたままになっている。
<どうやら私はエドガー・アラン・ポーの未解決殺人事件を発見し、その謎を解いてしまった気がするのです。>――なんて途方もないことを 言い出されても、「そんなの勝手な妄想だろ」と無視することができないのは、前作の怪著
『謎ときサリンジャー』―「自殺」したのは 誰なのか―
を、読んでしまったからだ。
この稀代の<文学探偵>が今回謎解きに挑むことにしたのは、40歳という若さで不遇の人生を終えたポーが、死の5年前に書いた最後の推理 小説『犯人はお前だ』。町有数の金持ちが殺され、その親友が先頭に立って捜査を行ったところ、富豪の甥に不利な証拠が次々に見つかって、 遺産目当ての殺人者として逮捕されてしまう。しかし、それまで名無しだった語り手が急に探偵の役割を担って、実は親友こそが真犯人で甥を 罠にはめたのだと、巧妙な仕掛けを用いて自供に追い込むのである。
原稿用紙30枚程のこの短篇は、コミカルな語り口と酒樽から死体が飛び出して真犯人を名指すなどのトリックから、パロディという評価すら ある作品なのだが、ポーが遺した最高の推理小説とその名も高い、最後のデュパンもの『盗まれた手紙』の、数か月後に発表されたこの野心作 こそが、ポーの最高到達点だと著者は言う。
「たとえば『モルグ街の殺人』もそうだが、作家自身が元々解決する明確な意図を持って編み上げた謎を解いて見せたからといって、その どこがすごいのだろうね?」
作家が出題者と解答者という二役を一人で演じることは「茶番」に過ぎないと捉えていたらしいポーにとって、「すごい」推理小説とはどんな ものだったのだろうか。「謎を作る人と謎を解く人を分ければいい」というのがその答えである。「謎の答え」は読者自身に探させなければ ならない、ということなのだ。
先にご紹介したこの物語の「表向きの結末」が、事件の真相を正しく解き明かしているのなら、ポーはこの作品でも推理小説の「限界」を破れ なかったことになるが、親友の捜査結果を語り手が否定して「真相」を暴けるのなら、語り手の推理もまた否定されてもおかしくない。ここに 名探偵デュパンは登場してこないのだから。
作家は事件の謎を提出するにとどめて答えは書かず、謎解きは読者に任せておかねばならない、という方法の欠点は、読者のやる気が不可欠で ある点だという。結果は凶と出て、目の前にある極上の謎を読者は誰も解こうとせず、大いに失望したポーは、これを最後に推理小説の執筆を 止めてしまった、のではないか?
私はこの本でポーの知られざる完全犯罪の物語「犯人はお前だ」を読み解きながら、もう少しだけ、人々が思うよりもポーが天才だったこと を明らかにできればと思っています。
と、ここから始まる<ポーの脳内にはあったけれど、二世紀近く他の誰も解くことのなかった>「未解決殺人事件」の、胸のすくような謎解きは ご自分でお確かめを。
著者がこの挑戦で手に入れたという、ポーが読者に謎をかけるときに使う「鍵」――二項の間に鏡像関係を作り、オリジナルとコピーを入れ替え ること。その「鍵」を逆にひねることで、名作『黒猫』や『ウィリアム・ウィルソン』の謎の扉が鮮やかに開かれていくこと示していく、圧巻の 後半も見逃すことはできない。
<ポー批評の新たな可能性を照射した本書が面白くないわけがない。>(解説:巽孝之)、暇人も大大満足の超お薦め本である。
2025/5/18
「ゲーテはすべてを言った」 鈴木結生 文藝春秋
今や日本におけるゲーテ研究の第一人者とされる統一(とういち)が、師である独文学者・芸亭學(うんていまなぶ)の次女と結婚 したとき、彼はもう38になっていた。
それから四半世紀が経って、一人娘の徳歌(のりか)が結婚記念日にと用意してくれた「銀婚式」の祝宴の席で、そのイタリア料理店の料理の 旨さに驚かされた後、デザートに選んだそれぞれの紅茶のティー・バッグの、タグに書かれていた「愛に関する名言」に場は盛り上がることに なったのだが・・・「パパのは?」
<Love does not confuse everything,but mixes.ーGoethe>
(愛はすべてを混淆せず、渾然となす――ゲーテ)
「ゲーテと赤い糸で結ばれているんだ」と持ち上げられ内心まんざらでもなかったが、戸惑いもまた隠せなかったのは、この名言の出典に確信 がなかったからだった。
本年度「芥川賞」受賞作品。
「ゲーテはすべてを言った」そんな言葉が統一の脳裡に忽然と蘇ってくる。彼はそのジョークを、ドイツ東中部の大学都市イェーナに遊学 していた時分・・・ヨハンという名の画学生から教わったのだった。
ドイツ人は名言を引用する時、それが誰の言葉かわからなかったり、実は自分が思い付いたものであっても、とりあえず「ゲーテ曰く」と付け 加えておくのだという。それは、日本でゲーテ専門家として大成することを志していた統一の耳には妙に予見的に聞こえ、やがて耳にこびり ついて離れなくなる言葉となったのである。
世界は多様である、という真理と同じくらい、世界はいかに一つであるべきか、という問いの出自は古い。その二つはいわば抱き合わせで、 特に一神教をその基盤とする西洋的知性において、何度も繰り返し問われてきた。
<そして、この多様性と統一性の問題について、ゲーテほど悩み抜き、書き残した人は他にいない>という一文で始まる、博把(ひろば)統一 初めての単著で、現代的な世界理解の視座を示す画期的な人文書として、サントリー学芸賞を受賞した、『ゲーテの夢――ジャムか?サラダか?』 (1999年)の中で統一は、この二つの異なる世界観を、ジャム的(すべてが一緒くたに溶け合った状態)、サラダ的(事物が個別の具象性を 保ったまま一つの有機体をなす状態)と名付けた。そんな統一にとってあの<名言>は、「すべてを言った」ゲーテが「すべて」について語って いる言葉であるという点で魅力的であり、執拗な探索を続けていく。
物語の主筋はこんな感じだが、傍流には様々な展開があり、「文学研究がミステリーや冒険活劇に転化し得ることを実証」(@島田雅彦)して いるという評価なので、「ペダントリーを駆使した、知的な遊戯性」(@奥泉光)がお好みの方は、是非ともご自分でお読みいただきたい。 暇人はツボにはまって大満足の好著だった。
名言探しの旅はついに「ゲーテの未発表の書簡」に辿り着くが、結局あの言葉がゲーテの言葉であるという確証を得ることまではできなかった。 しかし統一は、あるTV番組の課題図書となった『ファウスト』の回に出演し、「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」をゲーテの言葉として 紹介する自分を見る。
統一は、自分の言葉を決して信じきれていない男の語る言葉を聞きながら、その言葉を信じてやることができた。何故なら、その言葉は 本当だったからだ。・・・そう信じるとすれば、言葉はどれも未来へ投げかけられた祈りである。これが今のところ、自分が先生から与えられた 公案になしうる解釈の限界だ、と統一は思った。
2025/5/12
「僕には鳥の言葉がわかる」 鈴木俊貴 小学館
空を飛ぶタカ、地面を這うヘビ、おいしい木の実のありかまで、すべて鳥たちに教えてもらう。森の中を歩いていても、街の中を 歩いていても、そこかしこから鳥の声が聞こえてくるし、それを言葉として理解できるのだ。
驚くほどに豊富な鳴き声のレパートリーへの素朴な疑問から、シジュウカラを主な研究対象として森に通い始め、気付けば観察と実験の繰り返し だった18年の月日。それがこの著者にとって、いつしか自分の世界と鳥たちの世界とがつながり、次第にかれらの会話や思考がわかるように なるために、必要とされた時間だった。
<そして、僕は突き止めた。シジュウカラの鳴き声の一つひとつには意味があり、かれらはそれらの鳴き声を組み合わせて文を作ることまで できるのだ。>
というわけでこの本は、シジュウカラに言語能力があるという大発見で世界の動物学界を驚かせ、東大に「動物言語学」という新分野を立ち上げ た感動の記録である。
これまで研究者は、言語はヒトに突如として進化した固有の性質だと考えてきた。そして、動物たちの鳴き声やしぐさは、単なる感情の表れ であると決めつけてきたのである。
<しかし、シジュウカラたちは、それが間違いであることを教えてくれた。>
人間には人間の言葉があるように、鳥には鳥の言葉がある。大切なのは、それを生み出す認知能力であり、そこに着目すれば人間との共通点も 見出せるはずだ。と確信した著者は、シジュウカラの認知能力を調べるために、乏しい予算の中で画期的なアイデアを発揮して、様々な実験を 繰り返し、成果を導き出していく。
<「見間違い」実験による単語の証明>
木の幹に沿って木の枝を動かしながら、「ジャージャー」という鳴き声を聞かせることで、それが「ヘビ」のイメージを表す言葉であることを 確認した。
<「ルー語」による文法能力の証明>
シジュウカラの鳴き声の組み合わせの一部を、混群の仲間であるコガラのの鳴き声に置き換えても、文法ルールを当てはめて理解できることを 示した。
<「ぼく・ドラえもん」実験による二語文の証明>
「ピーツピ・ヂヂヂヂ」という鳴き声を、別々の音源から連続して聞かせても反応しないことから、この二語の連なりを文として認識している ことがわかった。
といった具合で、実際に著者が行ってきた観察と実験は、めずらしい生き物を対象としたわけでもなければ、特別な技術を使ったわけでもない というのだが、「ジャージャー」=「ヘビ」ということを証明するために、来る日も来る日も考え続けた著者の頭に、突然一つのアイデアが 浮かんだのは、二年後だったとか。
2022年にストックホルムで開催された「国際行動生態学界」で、日本人初の基調講演という快挙を成し遂げ、会場からの盛大な喝采を浴びた 著者の、動物の言葉を解き明かすための新しい学問、「動物言語学」創設に対する熱い思いが、読む者の心の奥深くまで染みわたってくる ような読書体験だった。
僕は信じている。動物たちの会話を理解し、かれらの世界を知った時、僕たちの毎日はもっと豊かで素晴らしいものに変わるはずだ。 そして、その未来に向かって、僕の挑戦はまだまだ続くのである。鳥たちと共に。
2025/5/10
「世界しあわせ紀行」 Eワイナー ハヤカワNF文庫
世界じゅうには、「もしも」が実現して、それが日常的光景になっている国がいくつもある。もしも税金を払わなくてもいいような 裕福な国で暮らしていたら。もしも・・・そうしたら、幸せになれるだろうか。
<私が知りたいのはまさにそういうことだった。この明らかに無謀な実験の成果が本書である。>
全米公共ラジオの海外特派員である著者が、「あまり知られていない幸福な国」を探しながら、一年ぐらい旅をしてみたらどうかと考えるように なったのは、これまでは、イラクやアフガニスタン、インドネシアなど「憂鬱で不幸な人々の物語」を取材するために、世界じゅうをあちこち 歩き回る日々が続いたからだった。というわけでこの本は、「幸せになるために欠かせないもの」を探るため世界各地を訪ね歩き、出会った人々 の言葉に耳を傾け、考察を重ねた旅の記録なのである。
幸福学研究の権威として知られるフェーンホーヴェン教授の「世界幸福データベース」を参考に、訪れることにした国は全部で10か国。
「私は、人が幸せだろうがそうでなかろうが、関心がありません。幸福感に差がある限り、データを処理して研究が可能ですから」と語る フェーンホーヴェン教授が、幸福を追求する同志だと思っていたら、実は「幸福ゲーム」の競技者ではなく、あくまで優秀な審判員に過ぎない と思い知らされたオランダを皮切りに、他人の嫉妬を買わないためならどんな努力もいとわないと、幸福の最大の敵が「嫉妬」であるという ことを本能的に知っている国スイス。すべての物事を「国民総幸福量」という観点から検討することを政策の基本理念としてはいても、それは あくまで国是であり目標なのだと大臣が答えたブータン。「それは神の意志によるものだ」と、鼻持ちならないほど行きすぎた贅沢にとことん までふけった場合、人の心には何が起きるのかを考えさせられた富裕国カタール。「失敗が恥ずかしいことだとは誰も思っていなくて、むしろ 名誉」と、いつでも再挑戦できるから、幸せと悲しみを同時に、同じくらい経験できる国アイスランド。「マイペンライ(気にしない)」のタイ。 「幸せなようにはふるまわない」イギリス。「いまここに」のインド。「どこか別の場所に」のアメリカ。そして・・・
「ヌー・イェステ・プロブレマ・ミャ(私の問題じゃない)」問題だらけなのに、それが誰の問題でもない国。この国では誰も問題を引き 受けようとしない。
ロシア帝国崩壊後の建国が、誰もが目を背けたいと思うほどの大失敗に終わり、世界で最も幸せでない国となってしまったモルドバの、絶望の 根源はお金だという。確かに国民1人当たりの年間所得はわずか880ドルと、その経済的困難は軽視できないが、ナイジェリアやバングラ デシュなど、もっと貧しくても幸せな国は多い。彼らの不幸は、自分たちをそんな人たちとは比較せず、イタリアやドイツと比較することにある。 モルドバは裕福な界隈の貧しい住民なのだった。
すべての旅を終えアメリカの自宅に落ち着いた時、著者の脳裡に浮かび上がってきたのは、癌から生還したブータン人の学者カルマ・ウラの 言葉だったという。「個人的な幸福というものは存在しない。すべての幸福は相関的なものだ」というその言葉が、額面通り本心からそう 語られていたことに、ようやく気付いたのだ。
私たちの幸福は、他者(家族、友人、近所の人、職場を掃除してくれる人など)と完全かつ密接にからみ合っている。幸福というのは、 名詞でも動詞でもない。それは接続詞なのである。
2025/5/4
「一場の夢と消え」 松井今朝子 文藝春秋
「浄瑠璃に筆を執るのは、歌を詠むのと同じじゃ。歌を次々と詠むように詞を綴ればよいのじゃ」と公通はあっさりいいきった。
「わたくしは歌なぞ詠みませぬが」即座に返したら相手はなおもいい募った。
「歌は詠まずとも、俳諧くらいは嗜むであろう」
<「そなたに頼みがある。麿に代わって浄瑠璃を案文してたもらぬか」>
杉森信盛が武家出身の地下人という低い身分でありながら、正親町公通のような殿上人の食客扱いとなり、この家に伝わる貴重な有職故実を 整理する務めに付いたのは、後水尾天皇の実弟・恵観禅閤の晩年のわずかな時期に雑掌として仕えた縁によるものだったが、同年輩の誼で話し 相手となるような、それは実に気楽な務めだった。そんな公通が、この秋の除目で参議に昇ることになり、これまでのような好き勝手はできなく なったからと、宮中を舞台にした物語の代筆を頼まれたのである。
<後の「近松門左衛門」が誕生した瞬間だった。>
「文字を一つ、一つ見ておると、何も思い浮かびませぬが、それを声に出せば、自ずとひと続きの詞になります。同様に一つの詞では何も 絵が浮かびませぬが、続けて詠めば詞がつながって、一つの絵が浮かんで参りまする。その絵を写し取るようなつもりで語っております」
そんなふうに一語一語を大切に語ってもらえたら、作者冥利に尽きると感じ入らせてくれた、まだ脇役に過ぎなかった天王寺五郎兵衛(後の 竹本義太夫)の発掘。
「藤十郎はただの役者ではございません。今までだれも観たことのないような舞台を見せてくれます。それは何か新たな芝居というより、 ちっとも芝居らしくない芝居とでも申しましょうか・・・」
坂田藤十郎との初めての出会いで感じたその瑞々しさと、にもかかわらず、斬新ともいえるその芸風を、作者の自分がまだ十全に活かしきれて いないもどかしさ。
やがて近松は、歌舞伎の「切り狂言」に範をとり、実際に起こった事件をモデルとした新しいタイプの「浄瑠璃」を書き上げ大ヒットさせた。 『曾根崎心中』である。浄瑠璃も、歌舞伎も、まだ「伝統芸能」とは言い難かった時代に、様々な才能が出現して覇を競い合った、革新的な 季節の雰囲気を活写しながら、その本流を駆け抜けていった、近松門左衛門の目くるめくような生き様を、鮮やかに描き出して見せた、これは この著者ならではの「歌舞伎物」の逸品なのである。
「七五や五七の語音でまとめたらたしかに調子がよくて耳障りがなかろうし、太夫は語りやすく、また役者のセリフにしても憶えやすかろう」
「それではいけませんのか?」
「耳障りでないのは、すなわち耳にひっかからんということじゃ。歌ならそれでよろしかろうが、浄瑠璃は大切な文句を決して聞き流されぬ よう、多少調子を崩しても、そこはしっかりと語らねばならぬ」
<「生身の人間が話すように書いてこそ、浄瑠璃の語りは活き活きとするのじゃ」>
亡き義太夫と自分とで、「歌」と「語り」の相克を経てようやく辿りついた「境地」を、本当に理解できる後継者の不在が、今は衰えを感じ 始めた信盛の苦痛だった。
信盛はこの世に留まっても、今や夢を見るばかりの姿になり果てたのがさほど苦痛ではなかった。夢の中ではあの世とこの世の区別もない ので、何も恐れずに済むのだった。
思えばこの世もすべて、だれかの夢なのかもしれない。それなら人はあの世でこそしっかりと目覚めるのだろうか。いや、自分はきっと夢を 見続けるだろう。
ああ、もう一度さっきの夢の続きを見ようとして、信盛はまた目をふさいでいる。
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