徒然読書日記202503
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2025/3/31
「イマジナリー・ネガティブ」―認知科学で読み解く「こころ」の闇― 久保<川合>南海子 集英社新書
対象(世界)と自分の関係性において、自分がどのように対象を認識するかだけでなく、認識を自分はどのように対象へ付加していく のか?こころと世界はどのようにつながっているのか?
<このようなこころの働きにアプローチする研究の概念が「プロジェクション」です。>
人間は、自分をとりまく物理世界から情報を受け取り、それを処理して表象を作り出しているが、それは人間のこころの働きの半分にしか過ぎず、 実はもう半分では、そこで作り出した表象を物理世界に映し出し、自分で意味づけした世界の中で、様々な活動をしている。その一連のこころの 働きを「プロジェクション」と名付けたのだ。(2015年に認知科学の鈴木宏昭氏が初めて提唱した概念だという。)
「プロジェクション」と一言でいっても、それは「ソース(投射元)」と「ターゲット(投射先)」の関係から、3つの投射タイプに区別する ことができる。
一つ目は目の前の世界を見たままにとらえる「通常の投射」で、ソースとターゲットが一致しているという、説明するのが申し訳ないくらい 当たり前のケース。
二つ目は「いま、そこにない」ことを「いま、ここにある」ものに映し出す「異投射」で、過去の事実など実在しない想像上のモノがソースに 投射されるケース。
そして三つ目が「見えない」けれど「たしかにそこにある」という「虚投射」で、幻覚や幽霊など投射される先にソースが存在しないケースで ある。
主体内部の世界が現実の外部世界とつながることで、主体にとってさまざまな意味や価値が生まれます。それがプロジェクションによって もたらされる効果です。そうして主体にもたらされる効果には、良いものも悪いものもあります。
というわけでこの本は、前著『「推し」の科学』で、プロジェクションのポジティブな側面から、認知科学の最新の概念を紹介してくれた著者が、 今度はそのネガティブな側面から、プロジェクションがもたらす効果の様々な事例を取り上げ、<私たちが簡単に他者に操られてしまう理由>を 解き明かすものだ。
悩みを抱えて苦しんでいる人の、内的世界のもやもやと解決策を目の前の壺に投射させ、「この壺が私を救ってくれる」と思いこませてしまう 「霊感商法」。
複数の人間が台本に沿った役割を演じて、対象者をその舞台に引きずり込み、「子どもの危機を私が救う」という自作の物語を演じさせてしまう 「オレオレ詐欺」。
自らが想定する「あるべき現実」と、目の前の現実が乖離していることへの不満から、その乖離を埋めるための便利な道具として仮説を用意する 『陰謀論』。
などなど、他者によってこころを操られたり、自分を自身で無意識に縛ってしまったりすることで生じる、ネガティブな事例が取り上げられ、 分析されていく。
あなたが自分のプロジェクションを自在に操作できるということは、他者からもあなたのプロジェクションが操作されうるということでも あるのです。また、あなたが意識しているプロジェクションを操作できるということは、意識できないプロジェクションは操作しにくいという ことでもあります。
他者にプロジェクションが操作されてしまったら、どんなことが起るのか?無意識のプロジェクションから、どんなことが生じるのか?
「いま、そこにない」ことを想像して「いま、ここにある」現実へ投射する、プロジェクションというこころの働きが、人間である私たちを 深く悩ませている。
2025/3/16
「モモ」 Mエンデ 岩波少年文庫
ある日のこと、廃墟にだれかが住みついたという話が、みんなの口から口へつたわりました。それは子どもで、どうも女の子らしい、 すこしばかりきみょうなかっこうをした子なので、はっきりしたことは言えない、名前はモモとかなんとかいうそうな――こういう話でした。
背が低く、やせっぽちで、古ぼけただぶだぶの男物の上着を身にまとった、浮浪児で年齢不詳のその女の子を、町の人々はみんなで面倒を見て あげることにする。大人たちは力を合わせて、モモの住処をできるだけ住みやすい所にし、そのあと今度は子どもたちが、食べ物のお裾分けを 持ってやってくるようになった。
<こうして、小さなモモと近所の人たちとの友情がはじまったのです。>
親切な人たちのところに転がりこむことができて、モモはまったく運がいい子だと誰もが思っていたが、実は町の人たちの方こそ「運がよかった」 ことに気付き、時がたつにしたがい、「この子がいつかまたどこかに行ってしまいはしないか」と心配するほど、この小さな女の子がなくては ならない存在になっていった。モモのところには、入れ替わり立ち代わりみんなが訪ねてきた。いつでも誰かがモモのそばに座って、なにか 一生懸命に話し込んでいた。モモは「相手の話を聞く」という、<それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。>
というこの本は、1974年にドイツ児童文学賞を受賞した児童文学の名作で、暇人の子どもたちも小学生の頃に読んで、感動していたような 覚えがあるのだが、今回なぜか読書会のテーマ本になり、暇人自身はまだ読んだことがなかったので、遅ればせながら読んでみることになった 次第なのである。
さてそんなある日、町に時間貯蓄銀行の外交員を名乗る「灰色の男」たちがやって来て、無駄遣いしている時間を銀行に預けろと迫るように なり・・・大人たちは必死で時間を節約し、追い立てられるようにせかせかと働き、子どもたちは「遊び方」まで教わるような暮らしを強いられ るようになっていった。
誰も自分の所に来なくなった異変の中で、人間から奪った時間を糧としている「灰色の男」たちの企みを知ったモモは、不思議な亀カシオペイア に導かれて・・・ここから始まる、「灰色の男」たちに奪われてしまった「時間」を取り戻そうというモモの大冒険の物語は、どうぞご自分で (お子様と一緒に)お読みください。暇人は正直に言って、「時間泥棒」との闘いのくだりはあまり気持ちが乗らなかったので、ちょっと共感 できた部分だけ取り上げておくことにしたい。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのこと だけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
モモの特別好きな親友の一人、道路掃除夫のベッポは何か聞かれてもただニコニコ笑うばかりで返事もしない、「無口な」おじいさんだった。 じっくり考えるからだ。答えるまでもないと思えば黙っており、答えが必要な時には何時間でも考えてしまうのだ。でも、モモだけはいつまでも 返事を待つので、彼の言うことが理解できた。
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息も きれてない。」
ベッポはひとりうなずいて、こうむすびます。
「これがだいじなんだ。」
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