徒然読書日記202412
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2024/12/31
今年の三冊
誰に頼まれたわけでもないのに、徒然なるままに「読書日記」を綴り続けている暇人が、満を持してお届けする。 今年もいよいよ、毎年恒例の「マイ・ベスト」発表の日がやってまいりました。
なお、「今年の三冊」と言っても、「今年私が読んだ」ということで、発表されたのは必ずしも今年とは限りませんので、 そこのところは、どうかお許しくださいね。
「ノンフィクション部門」
(国内編)
『ゼロから始めるジャック・ラカン』―疾風怒濤精神分析入門 増補改訂版―
(片岡一竹 ちくま文庫)
『源氏と日本国王』
(岡野友彦 講談社現代新書)
『ある行旅死亡人の物語』
(武田惇志 伊藤亜衣 毎日新聞出版)
(海外編)
『恐るべき緑』
(Bラバトゥッツ 白水社)
『死の舞踏』―恐怖についての10章―
(Sキング ちくま文庫)
『戦争における「人殺し」の心理学』
(Dグロスマン ちくま学芸文庫)
「フィクション部門」
(国内編)
『熱源』
(川越宗一 文春文庫)
『まいまいつぶろ』
(村木嵐 幻冬舎)
『徴産制』
(田中兆子 新潮文庫)
(海外編)
『寝煙草の危険』
(Mエンリケス 国書刊行会)
『文明交錯』
(Lビネ 東京創元社)
『嘘つきのための辞書』
(Eウィリアムズ 河出書房新社)
それでは、皆さま、どうぞよいお年を。
2024/12/30
「アルジャーノンに花束を」 Dキイス 早川書房
ぼくの名まえわチャーリイゴードンでドナーぱん店ではたらいててドナーさんわ一周かんに11ドルくれてほしければ ぱんやけえきもくれる。ぼくの年わ32さいでらい月にたんじょお日がくる。(けえかほおこく1――3がつ3日)
<ぼくわかしこくなりたい。>
IQ68で6歳程度の知能しか持たないチャーリイは、その温和な性格と学びたいという意欲を持つことを評価され、「知能を 高められる最初の人間」に選ばれる。長年動物実験のみで研究を続けてきた、その手術を受けることは失敗に終わるかもしれないが、 それでも科学に大きな貢献をすることになるというのだった。
眠っている間に終わった手術の後、初めのうちは遅々たる変化しかなかったが、「利巧になるために勉強した時それが身になる」 ようになったのだと言われた通り、様々な訓練や勉強を繰り返し、地道に続けていくうちに、ある日突然、「迷路テスト」で今まで 一度も勝てなかったアルジャーノンを負かせるようになっていた。アルジャーノンとは、チャーリイと同じ手術を受けた結果、前の 3倍も賢くなり、ずっと賢いままでいる第1号の動物だという、特別の「ねずみ」だった。
というこの本は、言わずと知れた「不朽の名作」なので、暇人も20数年前には読んでいたわけだが、今回、参加している読書会の 課題本となって再読した。
ほぼ2週間、私が経過報告を提出しないというので二―マーはあわてている。シカゴで開かれる国際心理学会はあと1週間に 迫っている。アルジャーノンと私は彼の報告の目玉である展示物なのであるから、最初の報告はできるだけ完璧にしたいと望んで いるのだ。(経過報告12――6月5日)
<二―マーが私を実験の標本扱いするのが癇に触る。>
と、IQがみるみるうちに向上していく様を、「経過報告」という一人称の文章をどんどん洗練させることだけで示してしまう、 画期的な技巧の冴えに導かれながら、急激な知能の発達とともに、友達だと思っていた人たちが自分を馬鹿にしていたことや、偉い 先生たちが本当は何も知らないことなどに気付いていく物語を楽しんだ。
<教養は人と人とのあいだに楔を打ちこむ(障壁を築く)可能性がある。>――これが、この物語の前半のテーマなのである。
さて、そんなある日、アルジャーノンが突然奇妙な行動に走るようになり・・・チャーリイはあの手術の成果が一時的なものに 過ぎないことを悟ることになる。皮肉なことにその手術の成果によって、今の彼には自分の「悲惨な未来の姿」をありありと思い 描くことができるようになっていたのだ。
やがて、自分の書いた経過報告すら読めなくなるほど退化してしまったチャーリイは、昔、親に捨てられ育った障害児学校へ自ら 戻って行くことにする。この世界にあるなんて知らなかった沢山のことを、ほんのちょっとの間でも見られたから、「利巧になる」 ための二度目の機会を与えられたことに感謝しながら。
<他人に対して思いやりをもつ能力がなければ、そんな知能など空しいものだ。>――これが再読して教えられた、この物語の 後半のテーマなのである。
どおか二―マーきょーじゅにつたいてくださいひとが先生のことをわらてもそんなにおこりんぼにならないよおに、そーすれば 先生にわもっとたくさん友だちができるから。ひとにわらわせておけば友だちをつくるのはかんたんです。
<ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください。>
2024/12/22
「TOKYO REDUX」―下山迷宮― Dピース 文藝春秋
(1949年7月5日、出勤途中に消息を絶った)初代国鉄総裁下山定則は、翌6日の午前零時20分頃、足立区五反野の、 国鉄常磐線の北千住駅・綾瀬駅間の線路上、立体交差する東武伊勢崎線のガード下付近で轢断死体となって発見された。
当時国鉄は下山総裁指揮の下、10万人の職員解雇を計画しており、その死には左翼分子に殺害されてから轢かれたとする他殺説と、 労使紛争の板挟みに心身衰弱したあげく、みずから線路に飛び込んだとする自殺説とがあり、いずれもが有力な証拠を提示して決着する こともなく、GHQが仕掛けたアメリカの謀略だとする松本清張(『日本の黒い霧』)の推理など、さまざまな憶測も飛び交うことと なったのだ。
この「下山事件」については、事件後70年を超えた現在も、公式の解明がなされることなく、この謎を解こうとしておびただしい書物や 記事が書かれてきた。たとえば、オウムの素顔を描いた自主制作ドキュメンタリー映画「A」を世に問うた森達也は、
『下山事件』(新潮社)
で、 日本の赤化を恐れたGHQの一大方向転換の意を汲んだ、<ある勢力>の共産党つぶしの秘策の犠牲となった、という説を仄めかして いる。初代国鉄総裁下山定則は、なぜ自ら死を選んだのか?あるいは殺されたのだとするならば、誰が何のために殺したのか?それが 次に解明すべき大きな謎だった。
というわけでこの本は、ブリティッシュ・ノワールの鬼才が、アメリカ占領期の東京で起きた3つの怪事件に挑む<東京三部作>の棹尾を 飾る完結編である。
1945年から46年にかけて少なくとも7人が殺された連続婦女暴行殺人事件の「小平事件」を扱った『TOKYO YEAR ZERO』。
1948年1月26日に白昼堂々銀行を訪れた男が女性子供を含む12人を一挙に毒殺した「帝銀事件」を描いた『占領都市』。
そして、戦後最大の謎と呼ばれた「下山事件」を取り上げたのが、本作『TOKYO REDUX』なのである。 (redux は、「帰ってきた」という意味だそうだ。)
1949年、左翼分子の犯行を疑うGHQの命を受けて、総裁の死の謎を追う、民間諜報局公安課捜査官・スウィーニーの地道な聞き込み 捜索を描いた第一部。
1964年、オリンピック開催目前の東京で、下山事件の取材中に消えた作家・黒田浪漫の足跡を追う、探偵・室田の暗躍を描いた第二部。
1988年、病に倒れた昭和天皇への憂いに覆われた東京で、翻訳家・ライケンバックを訪れた下山事件の過去の亡霊との顛末を描いた第三部。
もちろん、著者は小説家なのだから、膨大な資料を丹念に読み込んだ実際の事件にまつわる事実に基づくストーりーであるとはいえ、 これはフィクションなのであり、ただでさえ入り組んだ複雑な背景を持つこの事件に、時期をずらした3つの物語が折り重なって、虚実の 網が読者を絡めとろうとしてくるのである。
この小説は、米国主導の日本占領に関わった、あるいはその時代を生きた、多くの日本人とアメリカ人の伝記的事実や回想や著書に 材を取っている。その主な人物は・・・
<ただし無用の疑いを避けるために言い添えるなら、この小説はその人たちが下山定則の死に何らかの形で関わったと仄めかしている のではない。>
2024/12/15
「人名の世界地図」 21世紀研究会編 文春新書
名前とは何だろう。さまざまな国、さまざまな時代に、親は子供たちにどのような名前をつけてきたのだろうか。
9世紀から極北の海を渡ってイギリスへと移動し、侵略を開始したヴァイキングたちは、ゲルマン起源の名前(ウィリアム、ヘンリーなど) をイギリスにもたらした。ある時代に、ドイツの領主たちはユダヤ人に禁じられていた姓を「売った」が、すぐに区別できるよう植物 (リリエンタールなど)と金属名しか使わせなかった。アフリカの奴隷は元の名を奪われ、奴隷貿易の港町ブリストルといった地名や、 所有者たちの皮肉でプリンス(王子)やデューク(公爵)と名づけられもした。などなど、人名の世界地図の上には、民族間の たびかさなる抗争、大移動、宗教、文化の広がりが数千年におよぶ長い影を投げかけている。
<いまこそ、人名という泉の底に降りて、そこにどのような意味がひそんでいるのかを探ってみたい。>
たとえば、ピーター(Peter)という英語名は、新約聖書のペテロ(Petero)に由来する名前で、キリスト教世界では長寿をもたらす者 として信仰されているので、
ドイツでは、ペーター(Peter)ペトリ(Petri)
フランスでは、ピエール(Pierre)
イタリアでは、ピエトロ(Pietro)
スペインでは、ペドロ(Pedro)
ロシアでは、ピョートル(Pyotr)
と、キリスト教文化圏に共通した命名習慣として、各言語に適応した形で定着し、何世紀にもわたって使われ続けることになった。聖人の 名にあやかって命名するという西洋文化の発想は、社会で共有される記憶の結晶であり、親が願いを込めて創ってしまう日本の命名習慣 とは異なっているという。
中国人が本名以外にいくつもの名前を持っているのは、「実名敬避」(相手の本名を口にするのは失礼なので避ける)という習俗が存在 するからだ。たとえば、孔子の「姓」は孔、「名」は丘、「字」は仲尼、「外号」(あだ名)は孔老二、「尊称」が孔子で、それ以外に 「諡号」が10以上もあった。幼いときには「小名」、成年に達すると「字」、死んでからは「諡号」というように、名前はその人の ライフステージや社会的地位の高さを示す指標でもあったのだ。
我が日本においても、人生に“いくつも名前がある”時代はあったが、それは「身分」という「支配」との関係に基づく社会的地位を示す ものであったことは、
『壱人両名』 ―江戸日本の知られざる二重身分―
でご紹介した通りで、公に認められていたのは「人別」に記載された「通称」一つだけだった。
翻って今の日本では、颯琉(そうる)、月(るな)など、フリガナを付けなければ読めないような、キラキラネームを頻繁に目にする ようになってきた。どうして、ごくフツーの親だと思われるような人たちが、わざわざこんな名前をわが子に付けるようになってしまった のだろうか。(参照:
『キラキラネームの大研究』
)
あらゆる国には、人名にまつわるさまざまな伝説がある。その名は、時代によって変容をうけながらも、長い歳月に耐えて生き残って いる。ただ、そうした伝統名も、その名前が本来もっていた意味は失われ、言葉の響きのよしあしや有名人の名にあやかって名づけられる ことが多くなったという。
2024/12/8
「百年の孤独」 Gガルシア=マルケス 新潮文庫
この村でも二度とあらわれないと思うほど進取の気性に富んだホセ・アルカディオ・ブエンディアは、どの家からも同じ労力で 川まで行って水汲みができるように家々の配置をきめ、さらに・・・
<数年のうちにマコンドは、当時知られていた、住民三百をかぞえるどの村よりもととのった勤勉な村になっていた。>
20世紀文学を代表する屈指の傑作として、その名だけは知っていた『百年の孤独』が文庫化され、ベストセラーになっていたので、 早速読んでみたのだが、それは、西洋文明から隔絶された南米の地を開墾し、苦難の果てに新たな村を建設した、6代百年に及ぶ一族の 歴史を描いた壮大な物語だった。
なんてアッサリとまとめてみたのでは、「残念な誤読」になってしまうのは、この物語がおよそ一筋縄ではいかない「魔術的」な エピソードに満ち溢れているからだ。そもそも、代々のアルカディオとアウレリャノを名乗る男子と、ウルスラとアマランタの名を受け 継ぐ女子ばかりが登場して、余計に話をややこしくするけれど、
2代目の双子の長男アルカディオは、家を出て村のはずれに住み謎の自殺を遂げるが、その血はドアの下から流れ出て、母の住む家に死を 告げるため流れてくる。
チョークで描いた自分の周囲3mの円内には、母親ウルスラでさえ立ち入ることを許さない、双子の弟で戦争の英雄となった アウレリャノ大佐は革命の日々を送る。
姉妹同然に育てられた二人の美少女は、同じ長男を愛して互いに傷つき、アマランタは手に巻いた黒い包帯が手放せず、レベーカは 幼い頃の奇癖が再発して土を喰う。
4年と11ヶ月と2日、降り続く雨の鬱陶しさに耐えかねて悪態を垂れ流す妻に、怒りを爆発させた4代目アウレリャノは、ありとある 瀬戸物をすべて打ち砕く。
絶世の美女として村中の男から求愛を受けながら、ある日突然、本当に空中に飛び去って「昇天」してしまった。小町娘のレメディオス。
錬金術に没頭し、糟糠の妻ウルスラから愛想をつかされて、庭の樹の根元に縛り付けられ、やがて幽霊となって出没するようになった 家長のアルカディオ。
類い稀なる商才を発揮して家計を切り盛りし、視力を喪っても変わることなく一族の歴史を見守り続けながら、150歳の長寿を全うした ウルスラ。
などなど、有りうべからざる異常な事態が続出することになるのだが、微細で正確な描写や執拗なディテールの積み重ねが違和感を払拭 させてくれるのは、あの
『予告された殺人の記録』
でも立証された、<日常の中へきわめて自然にシュール・リアリズムが混入している>(筒井康隆)この 作家のマジックの冴えなのだ。
「この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる」という、村を定期的に訪れてきたジプシー、メルキアデス が遺した予言。6代目に至り、家計の乱れから知らぬ間に犯してしまった禁忌の結果、アマランタとアウレリャノ夫婦の間に生まれてきた 赤ん坊には、「豚のしっぽ」があった。この時アウレリャノは、メルキアデスの百年前の予言書には、自分と自分たち一族の運命が、 サンスクリット語ですでに書き記されていたことを知ったのだった。
<羊皮紙の最後のページを解読しつつある自分を予想しながら・・・しかし、最後の行に達するまでもなく、もはやこの部屋から出る ときのないことを彼は知っていた。>
なぜならば、アウレリャノ・バビロニアが羊皮紙の解読を終えたまさにその瞬間に、この鏡の(すなわち蜃気楼の)町は風によって なぎ倒され、人間の記憶から消えることは明らかだったからだ。
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