徒然読書日記
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2025/6/23
「銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件」 Aカウフマン 創元推理文庫
――併載『奇妙という名の五人兄妹』――
その夜、洗面所にいる僕を呼ぶ妻の張り詰めた声に、僕は歯ブラシをくわえたまま寝室へと上がって行った。鏡の前に立つ彼女は、だいたい いつも寝間着にしているTシャツ姿で襟元をじっと見つめていた。
「私、縮んでるの」
「縮んでなんかいやしないよ。・・・洗濯して伸びただけだろう?」
「お願いだから、ちゃんと私の話を聞いてよ。」
ある水曜日の午後3時すこし過ぎ、北アメリカ銀行第117支店で起こったその<強盗事件>は、強盗犯の要求が普通ではなかった。その場に 居合わせた13人の人々に、風変わりな強盗が要求したのはお金ではなく、<今持っているものの中で、もっとも思い入れのあるもの>を 差し出せという。あなたがたの魂の51%を手に、ここを立ち去ってゆくので、あなたがたの人生には一風おかしな、不可思議なできごとが 起こることになる、というのだった。
「ですがなにより重要なのは、その51%をご自身で回復させねばならぬということ。さもなければあなたがたは、命を落とすことになる」
2年半付き合っていた恋人から突き返された婚約指輪を差し出したバスの運転手は、突然バスに乗り込んできた元恋人に、心臓を掴み出されて しまう。
二人の息子のしわの入った写真を差し出した母は、シャワーを浴びている時に自分の体がすっかりキャンディになっていることに気付き、夫に 食べられてしまう。
読み古したカミュの『異邦人』を渡した女性は、ソファの下で神と遭遇するが、とても薄汚れていたのでコインランドリーで洗濯したため、 神の機嫌を損ねてしまう。
幼い娘のおしゃぶりを渡した夫婦は、お尻からお金を出すようになり高熱を発した娘の手術を受け、オムツの中のただの大便を見て、人生で 最高に幸せな気分になった。
などなど、13人がそれぞれに<不可思議なできごと>に翻弄されながら、その後の人生の岐路を迎え、ある者は回復し、ある者は消えていく ことになるのである。
さて、この物語の主人公であるデイビットの妻ステイシーは、高校2年で席が隣同士だった夫と知り合った時から使っているという電卓を差し 出すのだが、それは、数学を愛している妻がそれを使って、人生の節目節目で大事なことをいろいろ決めてきた大切な電卓だった。そして・・・ 妻は縮み始めたのだった。
毎日毎日、朝起きるたびに少しずつ縮んでいく身長を計測し、記録し、いつか確実に消えてなくなってしまう日を計算し、想像して暮らす妻を 眺めているうちに、妻の身長が縮み始めたことに気付きさえしなかった夫は、7年間の結婚生活と子供の成長の中でいつの間にか見失っていた、 妻の真の姿を再発見するようになっていく。
ある日、ついに手のひらに乗る大きさまで縮んでしまった妻を、プールに浮かべる椅子のように彼女のためにくり抜いたスポンジに乗せて、 一緒にお風呂に入る。ステイシーが笑った。その妻の短い笑い声が胸に沁みたのは、彼女の背が縮み始めてから、僕が彼女を笑わせたのが、 それが初めてだったからだった。
<もっとずっと長いこと、僕は彼女を笑わせたりして来なかった。>
彼女が僕を見上げ、僕は微笑む。彼女は目を閉じて、長いため息をつき、彼女を乗せたスポンジの周りに小さな波紋が立って・・・広がって いった。
ただの波紋だとばかり、僕は思っていた。ステイシーもそうだ。ほんのすこしだろうと、ほんのかすかにだろうと、あれは彼女が確かに 大きくなりはじめた印だったのだと僕たちが気付くのは、それから何ヶ月も経ってからのことだ。
2025/6/13
「嫌われた監督」―落合博満は中日をどう変えたのか― 鈴木忠平 文春文庫
まさかあの後、8年に亘って落合と関わり合うことになるとは思いもしなかったが、その歳月で私が落合について知ったことは色々と ある。なぜ語らないのか。なぜ俯いて歩くのか。なぜいつも独りなのか。
<そして、なぜ嫌われるのか。>
2003年10月3日の朝。スポーツ新聞の駆け出し記者だった私は、「オレ流」という漠然としたイメージしか抱いていなかった落合への 朝駆けを命じられる。「落合が中日の監督になる」という噂の裏を取るためだったのだが、「書いて恥かけよ」とふっと笑った。それが、落合 という男との出会いだった。
というわけでこの本は、その後フリーのノンフィクション作家として活躍することになった著者が、監督解任後10年たって書いてみようと 思った落合博満の実像を、<ある地方球団と野球に生きる男たちが、落合という人間によって、その在り方を激変させていったあの8年間>の 中で活写した、雑誌連載の文庫版である。
FAでヤクルトのエースから転身しながら、肩を痛めて3年間、まったく1軍で投げていなかった川崎憲次郎に「開幕投手はお前でいく」と 告げた意図。
立浪以来の天才と呼ばれながら、いつまでたっても代打の便利屋でくすぶっていた森野将彦に、立浪からレギュラーを取るためにと授けた 千本ノックの秘策。
「打ち方を変えなきゃだめだ」という落合の助言で、30代半ば過ぎてからの3年計画で和田一浩が辿り着いた高い山の、見たことのない景色 と逃げ場のない地獄。
「相手はお前を嫌がっている」誰に言うともなしに放たれたその一言が、左のアンダースロー小林正人に与えたワンポイントリリーバーという 自分だけの居場所。
などなど、落合と出会ったことで、その後の野球人生を激変させていくことになった12人の男たちの、紆余曲折の物語が証言と共に描かれて いくのだが、白眉は何といっても、2007年日本シリーズの対日本ハム戦、「完全試合達成を目前にした投手の交代劇」という非情な采配の 顛末と落合監督の真意だろう。
「私なら代えない。落合は投手じゃないから気持ちがわからないんじゃないかな。」という星野仙一のコメントに代表されるような批判の声が 大勢を占める中、「山井が自分からダメだと言ったんだ。いっぱいだというからだ」というのが落合監督が会見で残した公式な見解ではあった のだが・・・この章の主役を山井大介ではなく、2004年のシリーズで落合が貢献に報いようと続投させて失敗した、岡本真也の眼で描いて いる辺りが、著者の狙いのようである。
(これついては、この試合の翌日に暇人もブログで取り上げているので、興味のある方は是非お読みください。 →
「病は木から落ちる」
)
落合を取材していた時間は、野球がただ野球ではなかったように思うのは、8年間で4度のリーグ優勝という結果だけが理由ではない気がする、 と著者は総括する。<世界の中でそこだけ切り取られたような個。周囲と隔絶した存在。>を常に意識しながら駆け抜けた、それは濃密な8年 という時間だったに違いない。
勝敗とは別のところで、野球というゲームの中に、人間とは、組織とは、個人とは、という問いかけがあった。
2025/6/3
「冤罪」―なぜ人は間違えるのか― 西愛礼 インターナショナル新書
大阪を本社とした東証一部上場企業(当時)プレサンスコーポレーションの創業社長である山岸忍さんが、大阪地検特捜部により、 ある学校法人の新理事長が起こした業務上横領の共犯として逮捕・起訴された
という事件の概要と掲載されている山岸氏の写真を見て、数年前に盛んに報道されていた当時、「この人も犯人に違いない」と思いこまされて いたことを思い出したが、実際には、山岸氏は主犯の理事長とは面識もなく、無実を示す客観的証拠も複数存在していたのだという。 にもかかわらず、なぜ山岸氏が逮捕されたのかといえば、大阪地検特捜部が、山岸氏の部下と取引先の社長を取調べの過程で威迫して、 自分たちの見立てに沿うような供述を無理やり押し付けていたからだった。山岸氏は、元裁判官である著者も含めた多様性に富んだ弁護団を 組織し、刑事裁判に臨んだその弁護団は冒頭陳述において、この事件を次のとおり形容した。
「本件は、大阪地検特捜部によって作られた冤罪事件である。」
というわけでこの本は、この事件をきっかけに「冤罪研究」に取り組み始め、いまや「冤罪弁護士」として活躍し続ける現役の弁護士が、 「なぜ人は間違えてしまうのか」という心理的バイアスの観点から、「冤罪」が生まれるメカニズムを解き明かし、それを防ぐための方策を 探ったものなのである。
<そもそも、誤判冤罪はどのようにして生まれているのでしょうか。>
1.情報量の限界や、誤った証拠と捜査官の偏見などに基づいて、直観的・印象的な判断に陥ってしまった結果、「誤った見立て」が定立され てしまう。
2.捜査官が誤った見立てをもとに証拠を見ることで、さらに誤った見立てが強化されてしまうという、「負のスパイラル」が始まってしまう。
3.誤った見立てに沿って捜査を進めることで、誤った証拠がさらに集められる一方で、見立てに沿わない証拠は排除され、無実の証拠は収集 されなくなる。
4.捜査の各段階でつねに検証され、検出・指摘・訂正されねばならないはずの誤った見立てが、捜査機関の組織的な足枷によって看過されて しまう。
5.捜査機関が収集した一連の誤った証拠群が、「有罪」を示す情報として刑事裁判にそのまま提出されてしまい、「無罪証拠の縮小化現象」 が生じてしまう。
6.被疑者・被告人が有罪であることを示唆する大量の証拠が収集・提出されるために、弁護人もまた自分が弁護すべき人間は真犯人だと 思ってしまう。
7.「当事者主義」に立ち、検察官・弁護人双方の主張や立証に基づいて審理を行い判決を下す裁判所は、無実の証拠を見出せず、事実認定を 誤り誤判に陥る。
一旦このような流れに巻き込まれてしまえば、誰だって「冤罪」の泥沼に嵌まってしまう危険性があることを、深く納得させられる本だった。
え?自分は大丈夫だって?
罪を認めて争わない人よりも、無実を主張する人のほうが、過酷な身体拘束が長期化するという「人質司法」の捜査手法が、いまだに罷り通って いる日本において、負担を逃れようと罪を認める「虚偽自白」に追い込まれてしまえば、「自白偏重」主義の伝統が真綿で首を絞めてくること を、余り軽視しないほうがいいだろう。
将来の冤罪事件を防ぐためには、司法に携わる人々を改めて間違えてしまうことのある等身大の「人間」として現実的に捉え直し、過去の 冤罪事件の教訓を知識化した上、「冤罪を学び、冤罪に学ぶ」ことが必要です。
2025/6/3
「ないもの、あります」 クラフト・エヴィング商會 ちくま文庫
商品番号・第21番 <一筋縄>
物理的には、永遠に何の役にも立ちません。びっくりするくらい重くて固い「縄」です。いやな臭いまで染みついています。しかし・・・
誰もがよく耳にはするし、自分でも口に出したりするけれど、「そんなもの」は一度だって目にしたことがない、なんてものがこの世には 結構ある。
「もうちょっと大きなサイズの堪忍袋が欲しい」と思ってしまうことの多い今日この頃だが、切れてしまった<堪忍袋の緒>はどこで手に入れる ことができるのか。
「その車にはどこへ行けば乗れますか」なんて質問をするようでは悪党としての修業が足らない。<口車>は「乗る」ものではなく、「乗せる」 ものなのである。
「自分のことを棚に上げて言うのもなんだけど・・・」と断っておきながら、言いたい放題の人がいるが、<自分を上げる棚>とは、一体 どんな形をしているのか。
これさえ手にしていれば決して「転ぶ」という心配はないが、「何があっても常についていなければならない」のが<転ばぬ先の杖>の欠点 であることをご存知か。
といった具合に、この世のさまざまなる「ないもの」たちを古今東西より取り寄せて、「こちらにあります」とばかり、私たち読者の手元に 届けてくれる、この本は、テキストとイメージ、オブジェを組み合わせて独創的な作品を発表してきた制作ユニットによる、イラストつきの 小粋な「商品目録」なのである。
商品番号・第11番 <思う壺>
といっても、決して「壺」が何かを企んだりするわけではありません。壺はいつでも、ただの空っぽの壺であり、壺以外の何ものでも ありません。
「向こうの思う壺」などと、どうも「相手」が所有しているイメージが強く、それに「はまってしまう」というのが自然なパターンで、苦汁を なめ続けてきた、そんなアナタに、ついに待望の「自分の思う壺」をご用意することができたのだという。一見、安物のどうってことのない壺 だが、世にも稀なる「いい壺」である。中は真っ暗だが、代金を支払って中を覗いてみて欲しい。ただし、「相手」であれ「自分」であれ、 何かを企むのは、いつでも人間のほうであることをお忘れなく。
というわけで、「あったらいいな」と思う商品のオンパレードの中から、暇人が思わず注文しそうになってしまったのが、冒頭にご紹介した <一筋縄>だった。「にっちもさっちもいかない状態」に、これさえあれば、なんとか、こう「ぐっと解決」しないものか、などと淡い期待を 抱いてしまうかもしれないが、「<一筋縄>ではいかない」というのが、正しい使い方なのだから、せっかくこの商品を手に入れたからと いって、「ではいかない」わけなのである。なぜ、「一筋縄でいく」という言葉は存在しないのだろうか?あれば、とても便利なのに・・・ それがこの商品<一筋縄>の真骨頂なのである。
確かに「一筋」だが、極端に短く、重く、固く、およそ縄としての存在理由が見つからない、この<一筋縄>なるものは、徹底して不便に 作られている。「便利ならば、それでよいのか?」と、ようやく手に入れたとほくそえんでいるアナタに、そう問いかけているのだ。
この縄は、あなたの「便利のみを追求する気持ち」を、永遠に締め上げてくれます。にっちもさっちもいかなくなったとき、あえて、 この縄を取り出し、おのれの無力さを味わいましょう。
先頭へ
前ページに戻る