徒然読書日記
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2026/8/31
「ラストアイランド 北センチネル島」―なぜ外界との接触を拒み続けるのか― Aグッドハート 白水社
「さまざまな手製の武器を携えた蛮族が、木で二、三隻の小舟を造っている。その数、推定五十人以上。日没時に当船に乗り込んでくる恐れがある。全船員に 生命の保証がない状況だ」
ベンガル湾でサンゴ礁に乗り上げた貨物船が遭遇したこの苦境が、たとえば18世紀のクック船長の航海中に起きたエピソードであるように感じたとしたら・・・ <それは船が座礁した島が歴史という網をどうにかしてすり抜けてきたためだ。>ミャンマーとスマトラ島の間に点々と並ぶアンダマン諸島の、西側にはみ出た 「北センチネル島」でこの事件が起きたのは、1981年8月1日の深夜のことなのだ。
<何世紀も前からその存在は知られてきたものの、島の住民は外界の人類と接触を持つことは実質ゼロのままできた。>
東インド会社の水路測量船の船長が、広大な海峡の北端で「歩哨(センチネル)」のごとく佇んでいたことにちなんで、呼称を命名したのは1771年のことだった。 その後、わずかな接触の記録があるとはいえ、1970年に名目上の統治者がイギリスからインド政府に移るまで、この島を訪れる者は皆無の状態が続いたのである。 アンダマン諸島の他の島々が次第に観光化し、現住部族が保護地域からその姿を現すまでになった現在でも、「センチネル族」のみが孤立状態を保てているのは、 その小ささと、アクセスの不便さという「幸運」もあったに違いないが、それにしても・・・<なぜ彼らは「つながらない」ままであり続けてきたのか?>
というこの本は、著名な旅行作家による「最後の島」への(結局は未踏の)ルポなのだが、これまで試みられてきた接近と拒絶の歴史も丁寧に跡付けられており、 アンダマン諸島とそこに暮らす人々の姿がありありと浮かび上がってくる中で、逆にセンチネル族の特異さが際立ってくる所が、歴史家でもある著者の手腕である。 1998年、「北センチネル島」の存在を初めて知り、ネット検索したその場所をひどく非現実的に感じながら、画面から顔を上げて、夜の通りに目をやった瞬間、 「あの遠く離れた島でも生活が営まれている」ということに思い至って、著者はその島へと向かうのだが、そこで目にし、耳にした興味津々のお話しは是非ご自分で。
わたしの人生は冒険に満ちたものというわけではないが、その中では抜群の冒険譚として。アンダマンでの日々は物語になり、やがて年を経るごとに過ぎ去りし世紀の 黄昏の中の逸話となっていくのだ。
<こうして北センチネル島の存在は島までの距離と同じくらいに遠く感じられるようになっていった。>・・・はずだった。
2018年、キリスト教福音派のアメリカ人青年が、神の命を聞いたと信じ密かに島への上陸を試みて、部族の襲撃により命を落とすという事件が世界を驚かせる。 こうして著者は、2020年に「2回目の旅」を挙行することになるのだが、そこで目にしたものは「大きく変わってしまった環境」と「何も変わらぬ人々」だった。 地球温暖化、魚の乱獲、大気汚染、海岸に散乱するペットボトルなどのプラスチックゴミ。それは植物や動物の狩猟採集に頼る島民の環境を荒廃させ続けているが、 彼らは文明化がもたらすもの――飛行機、プラスチック、空気注入式のボート、防水仕様の聖書――をしっかりと見ているのである。そしてこう言うだろう。
「いろいろと結構なことです。ただ、われわれは遠慮しておきます」
2026/8/23
「同志少女よ、敵を撃て」 逢坂冬馬 早川書房
村を離れるとき、そして自分の家が焼け落ちるのを見たとき、悲しみが胸を打った。母は、その家とともに火葬された。
「敵(かたき)を討つ」
ドイツ兵を殺し、母を射殺したイェーガーなる狙撃兵を殺し、そして、母の亡骸を侮辱し、思い出を焼き払ってしまった、赤軍の女性兵士イリーナを殺すのだ・・・
1942年.モスクワ近郊の農村で母とともに猟をして暮らす16歳のセラフィマは、独ソ戦の敗残兵の襲撃を受け、村は自分を残して全滅に追い込まれる。 陵辱される寸前に現れピンチを救ったイリーナは、「戦いたいか、死にたいか」と問いかける。彼女は凄腕の元赤軍狙撃兵で、今は女性狙撃訓練学校の教官長だった。 復讐の誓いを胸に秘めたまま、セラフィマはイリーナに招かれ、ファシストどもを殲滅する一流の女性狙撃兵になるための厳しい訓練を受けることになるのである。 この学校に集められていたのは、戦争で家族を亡くすなど、似たような境遇の同世代の少女たち。<全員が、全てを喪ったと感じ、そしてここで出会ったのだ。>
というこの本は、史上初めて選考委員が全員満点を付けて第11回「アガサ・クリスティー賞」の大賞に輝いた、戦場シスターフッド冒険小説の感動巨編である。
イリーナを尊崇するあまり、初めはライバル心を燃やして反発しながら、やがては無二の友となっていく、モスクワ射撃大会の優勝者シャルロッタを筆頭に、ウクライナ 出身のコサックという複雑な背景を抱えるオリガ、無愛想で仲間内では孤立しながら圧倒的な実力を誇るカザフ人の猟師アヤ、最年長で皆から「ママ」と慕われる空襲で 子供を亡くして参戦した心優しいヤーナなど、ソ連に実在した女性狙撃訓練学校の過酷な試練に明け暮れる毎日が、個性的な彼女たちの微笑ましくもある日常の おしゃべりの中で、立体的に浮かび上がってくる。
やがて、一流のスナイパーへと成長した彼女らは、最前線の修羅場へと送り込まれ、戦争の理不尽を噛みしめながら、血生臭い戦場を駆け抜けていくのだが、 スターリングラード攻防戦から要塞都市ケーニヒスベルクの戦いへと、壮大なスケールと臨場感をたたえて展開される怒濤の戦場シーンは、どうぞご自分でお確かめを。
「アバズレなんて呼ぶな。狙撃兵様だよ。最前線で泥まみれ、命がけの俺たちとは大違い。安全な巣穴から狙い撃つエリートだ。」
物語の終盤、決戦目前の短期間の合同合宿の食事の席で、味方の一般歩兵の一団から悪意を持った挑発を受け、一触即発の事態となった時、止めに入ったのは、 砲兵少尉のミハイル。お互いにもう死んだと思い込んでいたセラフィマの幼馴染みで、周囲からは許嫁と認められていた懐かしいミーシカとの再会だった。互いの変貌に 呆然としながら、短い会話の合間に入り込むズレに気まずい逡巡を残して、「共に、生きて帰ったら・・・」と再び戦場に向かうことになるのだが・・・
<ネタバレにつき、文字を白くします。>
故郷の心優しき幼なじみ。イワノフスカヤ村で自分の他唯一の生き残り。かつて、自分が結婚すると思っていた相手は、スコープの中で女を 路上に引き倒し、周囲から喝采を浴びていた。
要塞を巡る攻防戦で宿敵の独軍狙撃兵との激闘を制し、敵を投降に追い込む英雄となったセラフィマが目にしたのは、心を打ち砕かれるような浅ましい光景だった。
<同志少女よ、敵(てき)を撃て>
果たして「敵」とはいったい誰だったのか?こ表題に込められた意味こそが、この小説が単なる冒険活劇ではなく、優れたミステリーでもあることを示しているのだ。
2026/8/18
「初恋」 トゥルゲーネフ 光文社古典新訳文庫
ふたりの頭が急に、息詰まるような芳しい半透明の闇に包まれ、その闇の中で、ジナイーダの瞳がすぐそばで柔らかい光を放って輝き、開きかけた唇からは熱い 吐息がもれ、白い歯がほのかに見えます。
悪戯っぽく微笑んで「ねえ、どうしたの?」とささやく彼女に、私は赤くなってにっこりすることしかできず、息も絶え絶えで顔をそむけねばならなかった・・・
という古典の名作『初恋』を読んだのは、ミルハウザーの描いた
「カフカ」
が授業中に読んでいたからではなく、偶然にも読書会のテーマ本に選ばれたからだ。
16歳のウラジーミル少年が父母と暮らす別荘の、中庭を挟んだ離れに、ある日引っ越してきたのが、落ちぶれた公爵夫人とその令嬢、21歳のジナイーダだった。 ずる賢いけれど無頓着、わざとらしいけれど率直、もの静かだけれどおてんば、といった相反するものが同居する小悪魔のような、溌剌とした美しい女(ひと)である。 彼女の廻りには彼女を慕う上流社会の男たちが集い、気まぐれに催す「罰金ゲーム」などに興じているのだが、その仲間に加えてもらえたことを喜んでいるうちに、 ジナイーダがいないと胸が塞がり、何一つ手にもつかないありさまとなった私は、自分がもうただの幼い少年ではなく「恋する男」になったのだと思い、舞い上がる。冒頭 ご紹介したシーンの後、自室に戻った私は、はるか遠くに淡く光る稲妻に魅入られたように立ち尽くし、彼女の面影に取りすがりながら、夜明けを迎えるのだった。
音も聞こえないこの稲妻、慎ましやかなこの稲光が、私の内部でやはり音もなく秘めやかにきらめきだした精神の高ぶりと呼応しているように思えたのです。
そんなある日、急に引きこもったり、「恋の詩」の朗読に顔を赤らめたりと、ジナイーダの身に変化が起きたことに気付く。「どうしよう!あの人は恋してるんだ!」 「相手はいったい誰なんだろう?」と、取り巻き連中を疑ううち、中の一人に唆されて、私はナイフを懐に夜中の中庭の見張りを決行することになるのだが、
ぎいとドアの開く音がして・・・男が姿をあらわしました・・・すると、なんということでしょう!それは父だったのです!
10歳も年上の母と財産目当てで結婚した父は、まだ若くとびきりの美男子で、優雅に落ち着きはらい自信過剰で独善的だが、息子から見ても素敵な大人の男だった。 だからか、父に対してはこれっぽっちも恨めしいという気持ちが起こらず、前よりもかえって父の姿が大きく映ったくらいなのだ。「なぜ、気付かなかったのか?」 結局、この父の裏切りは取り巻きからの密告で母にばれて、修羅場を乗り越えた一家は急に町へ引き上げることになる。「あの人にはもう二度と会わないんだ」 ところが、二人で馬で出かけた途中姿を消した父が、窓越しに話していた女性の白い腕を、鞭で打ち据えるところを盗み見てしまう。それはジナイーダだった。
ジナイーダはぶるっと身震いし、黙って父の顔を見やってから、ゆっくりその腕を唇に持っていき、真っ赤になっている痕にキスしたのです。父は鞭を放り投げ、 急いで入口の階段を駆けのぼって家の中に飛びこみました。
しばらくして戻ってきた父に、「鞭をどこへやったのか」わざと尋ねると、「落としたんじゃない。捨ててきた」と、優しく、無念そうな表情で頭を垂れた。 「これが本当の愛なんだ・・・本当に相手を愛していれば、我慢できるんだ。それを僕は・・・僕は勘違いしていた」
早くも人生に夕闇が迫ってきた今頃になって、春の暁にあっというまに過ぎていった雷雨の思い出ほどみずみずしく愛しいものはないということがようやくわかり ました。
という、甘く切ない「初恋」のときめきを、黒い髪のところどころに白いものが混じる四十男の、呪縛が解けた「思い出語り」という趣向で描いたところが味噌である。
付記
読書会では、父の「強さ」は母の財産に支えられた「虚勢」であり、そこをジナイーダに見透かされて手紙で脅され、母に泣きついたあげく、死んでしまった・・・ みたいな「解釈」が主流(特に女性陣)で議論となり、自分の「読み」の浅さと「恋愛観」の幼さを痛感することになった。これだから「読書会」はやめられない。
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