徒然読書日記
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2025/2/28
「万博と殺人鬼」 Eラーソン ハヤカワNF文庫
19世紀末のシカゴ、工場の煙と汽車の喧騒のさなかに二人の男が住んでいた。二人ともブルーの目をしたハンサムな男で、ともに みずから選んだ職業に並はずれた腕前をもっていた。
一人は建築家のダニエル・バーナム、ワシントンのユニオン・ステーションなどアメリカの有名な建築を数多く手がけてきた、高層建築の 先駆者だった。そしてもう一人はホテル経営者のマジェット、自らのホテルを改造してH・H・ホームズの名で容赦なく多くの人々の命を 奪った、連続猟奇殺人犯だった。
彼ら二人が顔を合わせたことは――少なくとも公式には――一度もなかったが、彼らの運命は一つの魅惑的なイベントによってつながって いた。
それが、南北戦争に匹敵するほどの変化をアメリカ社会にもたらしたといわれたイベント、1893年に開催を迎えようとしていたシカゴ万国 博覧会である。
というこの本は、史上最大規模のイベントに沸き立つシカゴを舞台に、そんな二人の人生を巧妙に縒り合わせた、複雑なタペストリーを織り上げ ることで、「底知れぬ恐怖と歴史の感動とをもたらす一種のノンフィクション・ノヴェル」(解説:巽孝之)なのであり、エドガー賞(犯罪 実話部門)受賞に輝いている。
万博会場建設の準備から、ようやく迎えたオープニング、そして波乱万丈の閉幕に至るまで、様々な建築家が入り乱れる、光り輝く<ホワイト シティ>の物語と、若い女性を次々におびき寄せ、毒牙にかける殺人鬼となっていく様が、息つかせぬほどスリリングに描かれていく、暗く 怪しい<ブラックシティ>の物語と。平行して進行していくどちらの物語も、読み応え十分なのだが、期待に反してまったく交差することは ないため、別々の作品でもよかったのではと思わないでもない。
暇人は一応専門が建築なので、パリ万博のエッフェル塔にまさるものをと、衆知を集めて挑んだというシカゴ万博の大観覧車のエピソードが 興味津々だった。「シカゴ世界博覧会で大きなプロジェクトを手がけることになった。縦に回転する直径75メートルの輪っか(ホイール)を 建設する予定だ」この輪っかには36台のゴンドラがついていて、それぞれはブルマンの客車にほぼ等しい大きさで60人が乗れるように なっており、ランチカウンターもついている。最大の関門は8本の支柱の上に巨大な回転軸を据える作業だった。付属品を含めて回転軸の 重量はおよそ64トンにもなる。<そんなに重いものをこれほどの高さまでもちあげる工事は過去一度もなかった。>・・・
さて、なぜ人は与えられたごく短い生涯をかけて不可能なことを可能にしようと挑戦し、またある人は哀しみを生み出そうとするのか。 高度資本主義市場においてプライヴァシーがいかに巧妙に搾取され商品化されてきたかを活写した『裸の消費者』でデヴューした著者が、 この本で問いかけようとし<流血と煙と土埃のなかで語られるのは、生命のはかなさについてである。>
つまるところ、それは二つの力――善と悪、光と闇、純白の都会(ホワイトシティ)と暗黒世界(ブラックシティ)――のあいだに起こる 避けがたい衝突なのだろう。
2025/2/28
「サンスクリット入門」―インドの思想を育んだ「完全な言語」― 赤松明彦 中公新書
ギリシア語を話すギリシア人やペルシア語を話すペルシア人はいても、サンスクリット語を話すサンスクリット人は今もいない 昔もいなかった。どうしてだろうか。
<「サンスクリット」が、言語に付けられた名称だからである。>
この言語が「サンスクリタ(完全なものにされた)」と呼ばれるのは、紀元前350年頃にパニーニの手になる「文法」によって、その体系が 形作られたからだ。つまり、サンスクリットという奇妙な言語は文法が先にある言語なのであり、それを学ばないと習得できないため、母語と して自然に身につける人はいないのである。
さて、天平年間の8世紀前半に、仏典とともに日本に伝えられた「悉曇文字」と共に、「梵語(サンスクリット)」を本格的に身につけたのは、 「空海」だった。「空海」こそ日本史上「最高の知性」であると尊崇する暇人が、サンスクリットの世界を覗きみてみたいという思いに駆られ たのには、そんな理由があった。
文字と発音(もちろん梵字は無理なので、ローマ字表記で写してある)や音声規則などの説明の後、いよいよ具体的な文例で文法事項を学んで いくことになるのだが、
aham brahmasmi. アハム ブラフマースミ
外連声をはずして単語に分けて書くと、次のようになる
aham + brahma + asmi.
「私はブラフマンです。」という1人称の例文から始まって、2人称「君はそれである。」、3人称「叡智はブラフマンである。」と、淡々と 解説される中で、「aham」という1人称の代名詞には、主格、対格、具格、与格、奪格、属格、処格、呼格の8つの格と、単数、両数、複数の 3つの数の組み合わせがあり・・・
「合計24の変化形がある」という変化表が、これ以降の例文のすべてについて回ってきて、「生のサンスクリットを学んで欲しい」という 本気度が伝わってくる。もとより、軽い気持ちで齧ろうとした身としては、語形変化どころか、見慣れぬ語彙のオンパレードに、身のほど 知らずの挑戦であったかと、後悔もしかけたのだが、
na ca drstad garistham pramanam asti.
そして、見られたことよりも重大な認識手段(プラマーナ)は存在しない。
「重い」の最上級 garistha- が訳では「より重い」となっているのは・・・
という形容詞の比較級と最上級の解説のための例文であることは置いておいて、なんとこれは、世親(ヴァスバンドゥ)の『倶舎論』からの 引用なのであり、他にも『マハーバーラタ』や『マヌ法典』などが、原文で味わえるのが嬉しかった。
「仏」→「buddha 仏陀」、「僧」→「samgha 僧伽」など、実は日本語の中に取り入れられたサンスクリットの語彙は数多くあるわけだが、 最近では英語その他の欧米語を経由して日本語に入ってきた、「ジャングル」→「jangala 乾燥した」などのサンスクリットもあるという。
インターネットの仮想空間での自分の分身を「アバター」と言うが、これは「avatara 権現」から来ている。「アヴァターラ」は、 ヴィシュヌ神がクリシュナのような人間の姿をとって地上に顕現することを言うものである。
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