徒然読書日記
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2025/4/29
「DTOPIA」 安堂ホセ 文藝春秋
柵に仕切られた植え込みスペースに立ち並んでいるのは、植物ではなくて人間の男たちだった。センターの扉と階段に隔てられて、 右サイドに5人、左サイドにも5人、10人の男が立ち並んでいる馬鹿みたいな光景から、デートピア2024、通称タヒチ編ははじまった。
<どっかの金持ちが美男美女を召集して、南の島で恋愛ゲームを開催する『DTOPIA』>
ミスユニバースをめぐって競い合うのは、白人基準で世界10都市から集められた男たち。その中に「日本人ってこんなもんでしょ」という顔の 「おまえ」がいた。舞台となったボラ・ボラ島には40台近いカメラが設置され、同時多発的に起こるドラマをすべて撮影しながら、それらを 寄せ集め編集した総集編が動画配信されたが、有料の「トラッキングシステム」に加入すれば、メイン画面の下に敷かれたタイムラインを クリックして、島を瞬間移動しながら、好きな対象を追跡できた。だから、視聴者のほとんどは順番に観ることを放棄し、「本編」の最終 エピソードを確認して、そこからカウントダウンするように各エピソードを消化していく。最後に優勝したやつを応援していくほうが確実だから、 エピソード1で「日本人すぎる」と揶揄された「おまえ」の顔にオーラが漂っていたのはそんなわけだった。
<最初からというべきか、それとも最後からというべきなのか?>
本年度「芥川賞」受賞作品。
こんなに興味津々の舞台を設定しておきながら、画面に釘付けにされてしまった私たち読者を置き去りにして、著者は突然チャンネルを 切り替えてしまう。
キース、おまえに睾丸を摘出されたとき、それは思っていたより深くまで、私の体に根を張っていた。おかげでおまえにひっぱられるたび、 内臓まで一緒に動かされてるようだった。
<暴力から暴を取ってくれる場所を、おまえは別の国を目指して、旅を始めた。>
『島に女は一人じゃない』と、ジェンダーバランスの是正措置を取るための“ギャル・クルーズ”15人の一人として、島に送り込まれた、 物語の語り手「モモ」。日本人の父とポリネシア系フランス人の母のミックスルーツで男の体に違和感があった彼女は、13歳のときに 「おまえ(キース)」の施術を受けていた。二人の再会から始まる「睾丸を摘出する少年」キースの青春の思い出の物語は、モモの青春時代と 微妙に絡み合いながら、予想外の軌跡を描いていくことになる。
富豪のトレーダーたちを顧客とする「水晶の中の睾丸」ビジネス。
二重扉の完全密室の中で行われる「拷問と尋問」ビジネス。
わざわざ顔のエラを角ばらせ「課金した感じ」を出すためのヒアルロン酸注射施術、などなど。
<社会になじむための自分と、本来の自分を両立させるのに、なぜこれほどの苦痛に耐えなければならないのか。・・・気休めの感傷など 寄せつけない、冷ややかな血の滴りを浴びるような体験だった。>(小川洋子:選評)
2019年1月、六本木ヒルズで財布を窃盗するというあまりに馬鹿げた犯行で逮捕された「おまえ」は、2024年9月末にデートピアに 旅立った。
「Date6」の撮影が正式に再会しようとしていた。後半戦が始まる。結果は、先に説明した通り。どの男も負けても死なない。11人 とも島から帰って、やったことの意味だけが変動し続ける。私たち視聴者によって。
2025/4/18
「ことばの番人」 橋秀実 集英社インターナショナル
校正は表向き、目には見えない。通常、校正者の名前は表に出ないし、文章のどこをどう直したという痕跡は完全に消されている。 ・・・それゆえ校正者が居ても居なくても世の中は変わらないように思われるのだが、
<ネットの普及によって彼らの不在が露呈している。>
読み返されずに送られてくるメールは漢字変換ミスのオンパレードで、ネット上の書き込みも事実関係を無視したひとりよがりの罵詈雑言の 垂れ流しだ。「文化」とは「文による感化」を意味するのだから、文化が衰退すれば暴力がのさばる。世の平和のためにも心がけるべきは 「文の校正」なのだ。と「文化の衰退」を憂えた著者は、実はよく知らなかった「実務としての校正作業」に取材すべく、日頃お世話になって いる校正者のもとへ出向くことにしたのだった。
「面白いから読んじゃうんです。『てにをは』が乱れていても、つい読んでしまう。誤りを拾い損ねてしまうんですね。」
「面白い原稿は要注意」と語る山崎さんは、基本はあくまで照合であり、間違いは読者の不利益になるので、「面白くなくても間違いのない ものを」と断言した。
「校正する時に『これがおかしい』と指摘しても、それだけではあくまで主観的な話です。そこで『この辞書にはこう書いてある』というのが 根拠になるわけです。」
「どんなに当たり前の言葉でも、最初は全部辞書を引いていた」という境田さんの、本棚で埋め尽くされた自宅には、辞書だけで7000点の 蔵書があった。
「英語圏などでは文字や記号が単純なので、校正といっても印刷工の副次的な作業なんです。私たちは漢字を使っているから、出てくる問題点 がいっぱいある。」
「漢字があるから校正作業もあるんです」ときっぱり言い切った小駒さんは、漢字の字形や送り仮名、そして誤植の宝庫「ルビ」の問題を取り 上げた。
というわけでこの本は、自ら書いた文章はまず妻に読んでもらい、次に出版社などの編集者、そして校正者と「誰かに読んでもらえばよい」 共同作品なのだから、文章は読み手頼みの他力本願で、<世の中には優れた書き手などおらず、優れた校正者がいるだけではないか>とさえ 考える著者による、SNSの普及で今や誰もが書く時代に、間違いのない文章を書くための「文章読本」のノンフィクション・バージョンで あるというのだった。
さて実は、著者はこの本の出版直後に急死され、これが遺作となってしまった。これまで随分多くの本で楽しませてもらったので、あらためて ご紹介させていただく。<合掌>
『からくり民主主義』
一定の図式にあてはめてわかったつもりの世論に逆らう「ものわかりの悪い」著者の抱腹絶倒のルポである。
『トラウマの国』
思わず爆笑してしまった後に、「他人事ではない」ことに気づいて、ぞっとしてしまう自分を発見する。
『弱くても勝てます』
「ドサクサ」に紛れてコールドゲームで勝ってしまうという、開成高校野球部の「弱者の戦略」を分析する。
『やせれば美人』
全国津々浦々の<隠れ愛妻家>のお父さんたちに贈る、ぼのぼのと心に染みる<表彰状>のような本なのだ。
2025/4/12
「すべての見えない光」 Aドーア ハヤカワepi文庫
それは、夕暮れどきに、空から大量に降ってくる。風に乗って塁壁を越え、屋根の上で宙返りし、家と家が作る谷間に舞い落ちる。 通り全体でビラが渦巻き、石畳の上で白く光る。
住民への緊急通知――<ただちに市街の外に退去せよ。>
1944年8月7日、独軍占領下のブルターニュ地方にある古くからの城壁に囲まれたサン・マロの市街は、米軍の爆撃によりほぼ完全に破壊 される運命となった。町の一角にある背が高く幅の狭い家の最上階で、低いテーブルにかがみ込んでいたのは、幼い頃に白内障で視力を失った 16歳の少女、マリー=ロール・ルブラン。独軍の侵攻迫るパリから、国立自然史博物館に勤める父と共に、大叔父を頼って避難してきたのだが、 父は陰謀の容疑で投獄され、一人ぼっちとなっていた。
そこから通り5本分隔てた、要塞として使っていたホテルの地下で生き埋めとなり、身動きが取れなくなっていたのは、ナチスの通信兵で 18歳のヴェルナー。ドイツの孤児院で育ち、壊れたラジオを修理する技術を見出されて士官学校へと進み、レジスタンスの放送を傍受する ために、フランスへと送り出されたのだった。
というわけでこの本は、第二次世界大戦に巻き込まれた少年と少女の、交わるはずのなかった二人の生と魂の揺れ動きを描いた、感動長編では あるのだが、
あの名作短篇集
『シェル・コレクター』
で、孤島に暮し「貝を拾い集める」盲目の老学者の秘められた才能が、「孤独」の中で研ぎ澄まされていく様を描きだした、「空気の匂い」まで 感じさせてくれるような、切ないまでに美しい「自然描写」の力は、この作品でも存分に発揮されていると言わねばならない。たとえば、 サン・マロで初めて海に触れたマリーも貝殻集めに夢中になる。音や匂い、触覚、熱感覚などにより鮮やかにその場の情景を浮かび上がらせて くれる。
誕生日に父親が作る木製の立体パズルを、マリー=ロールはいつも解いてみせる。パズルは家の形になっていることが多く、たいていは 小物が隠されている。それを開くには、頭を絞り、手順を踏まなければならない。
住んでいる地区の精巧なミニチュア模型を作り、目の見えない娘に何度も触らせて、一人で外出できるようにしてくれるような、優しい父との 触れ合い、など。
目に見える光のことを、我々はなんと呼んでいるかな?色と呼んでいるね。だが、電磁波のスペクトルは、ゼロから無限まで広がっている から、数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ。
孤児院の屋根裏部屋で、何とか修理できたラジオから雑音混じりに流れてきたフランス語の講義に、幼い妹とこっそり耳を澄ませていた 甘酸っぱい思い出、などなど。
冒頭の<爆撃の日>へと至るまで、二人がそれぞれ別々に歩んできた、時代の荒波に翻弄される道のりが、交互に短いエピソードとして 折り重ねられていきながら、“見えない光”に導かれるように、劇的な出会いの場面へと収束していく中で、見事に回収されていったかに 見えるのだが。さて、二人の運命は、どうなってしまうのか?
あとは是非、ご自分でお確かめいただきたい。これは暇人がここ数年に出会った中でも、極上の傑作であると、強くお勧めする次第である。
1万もの「きみがいなくてさびしい」や、5万もの「愛してる」、憎しみのメール・・・が、人目につかず、迷路のようなパリの上空を 行き交い、戦場や墓の上空を、・・・わたしたちが国家と呼ぶ、傷つき、つねに移ろう風景の上空を飛び交っている。
<だとすると、魂もそうした道を移動するのかもしれないと信じるのは、それほど難しいことだろうか。>
先頭へ
前ページに戻る